年代 バッハの生涯 社会
1685年
(0歳)
・3月21日 アイゼナッハに父ヨハン・アンブロージウス・バッハ、母マリア・エリーザベト・バッハの八番目の子(六男)として生れる。3月23日聖ゲオルク教会で洗礼。 ヘンデル生。スカルラッティ生。
1687年
(2歳)
   (日本)徳川綱吉「生類憐れみの令」を発す
ニュートン、万有引力の法則
1690年
(5歳)
・長兄ヨハン・クリストフ、オールドルフの教会オルガニストに就任。  
1693年
(8歳)
・この頃聖ゲオルク教会附属ラテン語学校に入学 ヴォルテール生 
1694年
(9歳)
・ラテン語学校第5学級進級。
・5月3日 母埋葬。  ・11月27日 父再婚。
 
1695年
(10歳)
・ラテン語学校第4学級進級。
・2月20日 父没。 
・6月頃 兄ヨハン・ヤーコブとともに、オールドルフの長兄ヨハン・クリストフのもとに引取られる。
 
1696年
(11歳)
・オールドルフ、ラテン語学校第3学級進級。  
1699年
(14歳)
・ラテン語学校第1学級に進級。  
1700年
(15歳)
・ラテン語学校を退学。兄のもとを離れ、級友ゲオルク・エルトマンと一緒にリュ−ネブルクの聖ミカエル教会附属の聖ミカエル学校に給費生として入学。
・ミカエル教会聖歌隊員となる。この頃、ハンブルクのヤン・アダムス・ラインケンのオルガン演奏や、近郊のツェレでフランス音楽にふれる。
クーナウ「聖書ソナタ」 
1702年
(17歳)
・リュ−ネブルクの聖ミカエル学校を卒業(?)
・ザンカーハウゼンの聖ヤコビ教会のオルガニストに志願するが、領主の思惑によって失敗。
テレマン、ライプツィヒでコレギウム・ムジクム創立。
(日本)赤穂浪士討入り
1703年
(18歳)
・3月 ヴァイマルのザクセン=ヴァイマル公ヨハン・エルンストに、宮廷楽師兼従僕として仕える。
・7月 アルンシュタットの新教会(現バッハ教会)のオルガンを鑑定。
・8月9日 アルンシュタット新教会のオルガニストに就任。
 
1704年
(19歳)
・兄ヨハン・ヤコプ、スウ工一デン王の近衛隊オーボエ奏者となり、その別れに際して、《最愛の兄の旅立ちに寄せるカプリッチョ》 BWV992を作曲。  
1705年
(20歳)
・8月4日 聖歌隊員ガイヤースパッハと市庁舎広場で、暴力事件を起こす。
・8月5−21日 暴力事件に関し聖職会議で審理。
・10月頃 聖マリエン教会オルガニスト、プクステフーデの演奏を聴くため、四週間の休暇をとりリューベックヘ旅行。
・12月2・3日 プクステフーデによる公開演奏会「タベの音楽」で、彼の大作《悲しみの城》(神聖口一マ帝国皇帝レオポルト1世のための葬送音楽)と 《栄光の宮》(新皇帝ヨーゼフ1世戴冠祝い)を聴く。
 
1706年
(21歳)
・2月7日以前にリューベックより帰る。
・2月21日 聖職会議で無断の休暇延長等について喚間される。
・11月11日 「見知らぬ女性」を教会内で歌わせたことで、聖職会議で喚間。
・11月28日 ランゲヴィーゼンの教会でオルガンを鑑定。
パッヘルベル没
1707年
(22歳)
・6月15日 ミュールハウゼン聖ブラジウス教会のオルガニストに採用される。
・6月29日 アルンシュタット市参事会に辞表を提出。
・10月17日 ドルンハイムの聖バルトロメオ教会で.マリア・バルバラと結婚式を挙げる。
ブクステフーデ没
大ブリテン王国成立
1708年
(23歳)
・2月4日 カンタータ BWV71を、ミュールハウゼン市参事会交代式のため、聖マリエン教会で上演。
・2月21日以前 聖ブラージウス教会オルガン改造計画書を提出。
・6月25日以前 ヴァイマル、ザクセン=ヴァイマル公ヴィルヘルム・エルンストの宮廷オルガニスト兼宮廷楽師に採用。
・6月25日 ミュールハウゼン市参事会に辞表を提出。
・7月 ヴァイマルに移転。
・12月29日 長女カタり一ナ・ドロテーア誕生。
テレマン、アイゼナッハの宮廷学長に就任
1709年
(24歳)
・10月31日? ミュールハウゼンの聖ブラージウス教会で改修されたオルガンを検査。 <頃>クリストフォリ、最初のピアノフォルテ製作
1710年
(25歳)
・10月26日 タウバッハでオルガン検査。
・11月22日 長男ヴィルヘルム・フリーデマン誕生。
ペルゴレージ生
ヴェルサイユ宮殿完成
1712年
(27歳)
・バッハの提案で、宮廷のオルガン改修始まる。 J.J.ルソー生
1713年
(28歳)
・2月23日 ヴァイセンフェルスで、ザクセン=ヴァイセンフェルス公クリスティアンの誕生祝賀会において、世俗カンタータ BWV208初演。
・12月13日 ハレの聖母教会(現市場教会)オルガニストに選任されるが、翌年2月に拒否する。
コレルリ没
1714年
(29歳)
・3月2日 ヴァイマル宮廷楽団の楽師長に就任。毎月一曲、カンタータ作曲の義務を負う。
・3月8日 次男カール・フィリップ・エマヌエル誕生。
グルック生
1715年
(30歳)
・5月11日 三男∃ハン・ゴットフリート・ベルンハルト誕生。 ルイ14世没、ルイ15世即位
1716年
(31歳)
・1月24日 ザクセン=ヴァイマル公ヨハン・エルンスト、アンハルト=ケーテン侯レオポルトの妹エレオノーレ・ウィルヘルミーネと結婚。
・5月1日 ハレの聖母教会オルガン鑑定書を、クーナウ等とともに提出。オルガンの完成式典に参加、饗宴を受ける。
・7月31日 エアフルトの聖アウグスティヌス教会オルガン鑑定。
・12月1日 ヴァイマル宮廷楽長ドレーゼが死去。後任はバッハ自身がなると思っていたが、領主の命令でその息子が継ぐ。
(日本)徳川吉宗、将軍となる 
1717年
(32歳)
・8月5日 アンハルト=ケーテン侯レオボルトの宮廷楽長に任命。
・秋 フランスのオルガニスト、ルイ・マルシャンと競演のため、ドレスデンを訪問。
・11月6日〜12月2日 領主に対する、「頑迷な辞任要求」の罪で拘禁。
・12月2日 「失寵による解雇」が言い渡され、拘禁を解かれる。
・12月16日 ライプツィヒ聖パウロ教会オルガン検査。
・12月末 ケーテンに移る。
 *ゴータで《ヴァイマル受難曲》演奏?
J.シュターミッツ生
L.マルシャン、ドレスデンを訪問
女帝マリア・テレジア生

1718年
(33歳)
・5月9日頃〜6月15日頃 レオポルト侯とともに、カールスパート(現チェコ、カルロヴィ・ヴァリ)に旅行。  
1719年
(34歳)
・3月1日 ベルリンのチェンバロ購入のための経費を受け取る。
・5月14日〜7月26日の間 帰郷していたヘンデルに会おうとハレヘ行くが失敗。
 
1720年
(35歳)
・1月22日 《フリーデマンのためのクラヴィーア小曲集》 記入開始。
・5月末〜7月7日以降 レオポルトに伴い、カールスバートヘ7月7日 妻マリア・バルバラ埋葬。
・11月21日以前〜23日 ハンプルクの聖ヤコビ教会オルガニストに志願するためハンブルクに滞在し、ラインケンに再会。採用決定。
・12月19日以前 ハンブルク聖ヤコビ教会オルガニスト就任を拒否。
 
1721年
(36歳)
・2月22日 オルドルフの長兄ヨハン・クリストフ没。
・3月24日付けでブランデンブルク辺境伯クリスティアン・ルードヴィッヒに《ブランデンプルク協奏曲》 を献呈。
・8月7〜13日 シュライツて客演。
・12月3日 アンナ・マクダレーナ・ヴィルケと再婚。
・12月11日 レオポルト侯、アンハルト=ベルンベルク公女フリーデリカ・へンリエッ夕と結婚。
テレマン、ハンブルクの音楽監督に就任
1722年
(37歳)
・4月16日 兄ヨハン・ヤーコブス、ストックホルムで死去。
・12月21日以前 ライプツィヒの聖トーマス教会カントールに志願。
  *《アンナ・マグダレーナ・バッハのためのクラヴィーア小曲集 第1巻》 の記入を開始。
  *《平均律クラヴィア曲集第1巻》 この年に完成。
 
1723年
(38歳)
2月7日 ライプツィヒてトーマスカントールの採用試験。
・4月13日以前 ケーテン宮廷に辞表を提出。
・5月5日 ライプツィヒ市庁舎にてトーマスカントール雇用契約書に署名。
・5月22日 ケーテンからライプツィヒに移転。新しい住居である、トーマス学校に入る。
・6月1日 トーマス学校にて、カントール就任式。
・11月2日 シュテルムタールでオルガンを鑑定し、カンタータ BWV194 を上演。
 
1724年
(39歳)
・2月26日 四男ゴットフリート・ハインリッヒ誕生。
・4月7日 聖二コライ教会で 《∃ハネ受難曲》 BWV245 初演。
・6月25日 ゲーラの聖ヨハネ教会、聖サルヴァトール教会てオルガン検査。
・7月18日 妻とともにケーテンに客演。
カント生
1725年
(40歳)
・3月30日 《ヨハネ受難曲》 (第2稿)上演。
・9月19〜20日 ドレスデンで、聖ソフィア教会のオルガン(ジルバーマン製作)を演奏。
・12月10日頃 妻とともに、ケーテンのレオポルト侯誕生日祝賀会に出席。
   *《アンナ・マグダレーナ・バッハのためのクラヴィーア小曲集第2巻》記入開始。
A・スカルラッティ没
J.J.ファクスの対位法教科書出版
ヴィヴァルディの作品8出版

1726年
(41歳)
・7月28日 ダンツィヒのロシア大使ゲオルク・エルトマンに手紙を書く。
・9月12日以降 《パルティータ》 BWV825をケーテン候子エマヌエル・ルートヴィッヒに献呈。
・11月1日 ライプツィヒの新聞に《クラヴィーア練習曲集》(《バルティータ》BWV825とその続作)の広告掲載。
スフィフト「ガリヴァー旅行記」出版
1727年
(42歳)
・2月6日 ポムセンで葬儀。 カンタータ BWV157初演?
・4月11日 聖トーマス教会にて 《マタイ受難曲》 BWV244初演。
・9月19日 ライプツィヒの新聞に 《パルティータ》 BWV826、827の広告を掲載。
・10月17日 ザクセン選帝侯妃クリスティアーネ・エバーハルディーネ迫悼頌歌BWV198、大学教会で初演。
ニュートン没
1728年
(43歳)
・11月19日 アンハルト=ケーテン侯レオポルト没。  
1729年
(44歳)
・2月23日頃 ヴァイセンフェルス公クリスティアンの誕生祝賀のため、ヴァイセンフェルスに旅行。
・3月5日 長男フリーテマン、ライプツィヒ大学に入学。
・3月20日以前 ヴァイセンフェルス?に3週間の旅行。
・3月20日以降 コレギウム・ムジクムの指揮者に就任。
・23〜24日 ケーテンのレオポルト侯の葬儀に、マクダレーナ、フリーデマンと出席。 聖ヤコピ教会で、葬送音楽BWV244aを演奏。
・4月15日 《マタイ受難曲》 BWV244を再演。
・6月29日以前 ハレに滞在中のヘンデルに会おうと、病気の自分の代わりに長男のフリーデマンを使いとしてライプツィヒに招くが失敗。
 
1730年
(45歳)
・5月1日 ライプツィピの新聞に 《パルティータ》 BWV829 の広告を掲載。
・8月2日 市参事会、職務怠慢のかどでバッハの減俸を決定。
・8月23日 市参事会に教会音楽の改善に関する要望書を提出。
・9月3日 J.M.ゲスナー、トーマス学校の校長として赴任。
・10月28日 ダンツィヒのゲオルク・エルトマンに就職斡旋の手紙を書く。
 
1731年
(46歳)
・3月23日 《マルコ受難曲》 BWV247を上演。
・5月以降 トーマス学校の改築工事始まる。
・6月末頃 学校内住居の改装工事に伴い、ハイン通り、ドルン博上の家に移る
・9月14〜21日 ドレスデンの聖ソフィア教会と官廷で演奏会。
・10月1日 次男エマヌエル、ライプツィヒ大学に入学。
・11月12日 シュテンチュでオルガン検査。
   *《クラヴィーア練習曲集 第1部》(BWV825〜830)出版。
 
1732年
(47歳)
・2月4日 シュテンチュでオルガン検査。
・4月11日 《ヨハネ受難曲》 (第3稿) 上演。
・4月24日以前 完成した新住居に移る。
・6月21日 五男ヨハン・クリストフ・フリードリッヒ誕生。
・9月21〜28日 マクダレーナと一緒にカッセルに行き、マルティン教会でオルガンの鑑定。
ヴァルター「音楽事典」出版
J.ハイドン生
1733年
(48歳)
・6月23日 長男フリーデマン、ドレスデンの聖ソフィア教会のオルガニストに就任。
・7月27日以前 ドレスデンに旅行。
・7月27日 ザクセン選帝侯アウグスト2世に諸願書と 《ミサ曲口短調》 BWV243 (キリ工・グロリア部分)を献呈。
G.ベーム没
1734年
(49歳)
・10月5日 ライプツィヒで、ザクセン選帝侯アウグスト2世即位1周年記念世俗カンタータBWV215 演奏。
・10月6日 ライプツィヒのトランペットの名手J.G.ライヒェ、バツハの指揮した夕べの音楽に出演し、翌朝過労のため急死。
・11月 J.A.エルネスティ、トーマス学校長に就任。
・12月25〜27日 聖トーマス教会で、《クリスマス・オラトりオ》 BWV248第1部〜3部上演。
   *《コーヒー・カンタータ》 BWV211上演。
フリードリヒ・アウグスト二世、ポーランド王アウグスト三世に即位
1735年
(50歳)
・1月1・2・6日 聖トーマス教会で、《クリスマス・オラトりオ》 BWV248第4部〜6部上演。
・5月1日以降 《クラヴィア練習曲集第2部》(BWV831、971)出版。
・6月9日以前〜11日以前 二男ベルンハルトの就職試験立ち会いのため、ミュールハウゼンを訪問。聖マリア教会のオルガンを鑑定。
・8月13日 ライプツィヒの新聞に 《クラヴィーア練習曲集第2部》 の広告記事。
・9月5日 六男∃ハン・クリスティアン誕生。
   *年末に『音楽家族バッハ家の系譜』を執筆。
ウィーン仮条約、ポーランド継承戦争の実質的終結
1736年
(51歳)
・3月30日 《マタイ受難曲》 BWV244 再演。
・8月12・19日 トーマス合唱団と問題起こる。
・8月17日 トーマス学校長J.A.エルネスティ、市参事会でバッハを非難。
・9月27日以前 ザクセン選帝侯に、宮廷音楽家の称号授与を願い出る。
・11月19日 ザクセン選帝侯宮廷音楽家に任命。
・12月1日 ドレスデン聖母教会で、オルガン演奏会。
ペルゴレージ没
1737年
(52歳)
・3月3日以降 コレギウム・ムジクムの指揮者を辞任。
・4月4日 三男ベルンハルト、ザンガーハウゼンの聖ヤコピ教会のオルガニストに就任。
・5月頃 ザンガーハウゼンに旅行。
・5月14日 J.A.シャイベ、『批判的音楽家』にバッハ批判を掲載。
・9月28日 ヴィーデラウの荘園領主の表敬力ンタータ BWV30a 上演。
・10月18日以前 従弟ヨハン・工リアス・バッハ、秘書兼家庭教師となる。
 
1738年
(53歳)
・1月初旬 シャイベのバッハ批判にJ.A.ビルンパウムが反論を展開。(この後、数回論争が続く〉
・5月22日 ドレスデンから帰る。
 *次男エマヌエル、フリードリヒ皇太子(後の大王)のチェンバロ奏者となる。
 
1739年
(54歳)
・5月27日 三男ペルンハルト、イエナで死去。
・9月7日以前 アルテンブルクで城内教会のオルガン検査。
・9月12日 ロンネブルクで、代父を務める。
・9月30日 ライプツィヒの新聞に 《クラヴィーア練習曲集 第3部》(BWV562、669〜689、802〜805)の広告記事。
・10月2日 コレギウム・ムジクムの指揮再開。
・11月7〜14日 妻と一緒にヴァイセンフェルスに旅行。
・12月22日 シャイベ『批判的音楽家』で、《イタリア協奏曲》 BWV971に賛辞を贈る。
 
1740年
(55歳)
・4月17日以前 ハレヘ旅行。 フリードリヒ大王、マリア・テレジア即位
1741年
(56歳)
・8月5日以前 ペルリンに旅行。
・10月 《クラヴィーア練習曲集 第4部》 (ゴールドベルク変奏曲)BWV998出版。
・11月17日 ドレスデンから帰る。
  *ツィンマーマンの死去により、コレギウム・ムジクムの指揮を辞任。
ヴィヴァルディ没
1742年
(57歳)
・8月30日 クラインチョッハーで荘園領主カール・ハインリヒ・フォン・ディースカウの表敬カンタータ (農民カンタータ) BWV212 上演。  
1743年
(58歳)
8月27日以前 ナウムプルクの聖ヴェンツェル教会オルガン検査。  
1745年
(60歳)
11月30日 第2次シュレージエン戦争で、ライプツィヒ、プロイセン軍に占領される。
・12月10日 ベルリンで、エマヌエルの息子で孫となった∃ハン・アウグスト・バッ八の代父を務める。
第二次シレジア戦争終結
1746年
(61歳)
・4月16日 長男フリーデマン、ハレの聖母教会オルガニストに就任。
・8月7日 チョルタウでオルガン検査。
・9月27日 ナウムブルクの聖ヴェンツェル教会オルガン検査。
露、オーストリア継承戦争に参加
1747年
(62歳)
・5月7〜8日 ポツダムでフリードリヒ大王からテーマを与えられ、即興演奏を披露。
・5月8日 ポツタム聖霊教会でオルガンを演奏。
・5月8日以降 ペルりンに行く?
・6月 L.Ch.ミツラーの普楽学術協会に入会する。
・7月7日 フリードリヒ大王に 《音楽の捧げもの》 BWV1079 を献呈。
・9月30日 ライプツィヒの新聞に 《音楽の捧げもの》 BWV1079 の広告記事。
 
1748年
(63歳)
・9月 バッハの推薦により、弟子のL.Ch.アルトニコル、ナウムブルクのヴェンツェル教会オルガニストに採用。孫のヨハン・セバスティアン・バッハ2世(エマヌエル次男)誕生。 モンテスキュー「法の精神」
1749年
(64歳)
・1月20日 娘工リザベート・ユリアーネ・フリーデリカとアルトニコルが、聖トーマス教会で挙式。
・4月4日 《ヨハネ受難曲》 (第4稿) 再演。
・6月8日 市参事会、次期カントール候補、G.ハラーの試験を行う。
ゲーテ生
1750年
(65歳)
・1月初旬 五男クリストフ・フリードリヒ、ピュッケブルクの宮廷音楽家に採用。
・3月28〜31日 イギりス人巡回眼科医J.テイラーに眼の手術を二度受ける。
・7月18日頃 実然視力を回復するが、その後、卒中の発作が起こる。
・7月28日 午後8時すぎ、死去。
・7月30または31日 聖ヨハネ教会に埋葬。
アルビノーニ没

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